「自分のことは自分が1番よくわかっている」と思いがちですがはたしてそうでしょうか?
統計によると、多くの人が自分に関しては何事につけても平均以上だと思っています。
うまくいった原因は自分の力だと認識し、都合の悪い結果は外部の原因にしがちです。
これを「自己奉仕バイアス」と言います。
歪んだ自己認識のままだと、いつまでも自分を甘やかして、自分をいい方向に改善できません。
今回はクリティカルシンキングを使って、自分を改善する方法を探ります。
人は誰でも自分に嘘をつくことで、自分を保っている?
なぜ自分にさえも人は嘘をつくのでしょうか?
理由は簡単。
全てを自分のせいにしてしまうと人は簡単にうつになってしまうからです。
抑うつ型の人はおおむね自尊心が低く、いつもどんなときも自分はうまくいかないと自分を責めます。
こんなタイプの人はうまくいったときも、「たまたま運がよかっただけで、どうせ長くは続かない」とネガティブな反応をするので、成功を喜べません。
そんなタイプの人は抑うつになるのはしかたがないでしょう。
一方、多くの人は
・自己防衛バイアス
うまくいかなかったのは他人のせいにする。たとえば離婚原因が自分の浮気のせいだとしても、配偶者が性格に問題があったとか、性交渉に応じなかったなど他の原因にして自分の落ち度を認めない。
・ 自己高揚バイアス
うまくいったことは全面的に自分の実力を原因にする。今の恋愛がうまくいっているのは、自分に魅力があるし、仕事ができるからなど自分を持ちあげる。
自己高揚バイアスがあるせいで、余計に自己防衛アドバイスが補完される形になり、「自分すごい! 悪いのは他人」が止まらなくなります。
本当に自分が思っている常識は正しいのか?
私たちは自分が常識と思っていること世間の常識が一致している場合、自分は正しいと思いがちです。
「みんなやっている」
みんなが同じようにやっていて、これに反論する確証がなければ、疑問を持たずに常識に従いがちです。
本当に正しいかを調べるには、
・誰から見ても正しいものと言えるのか客観的に検証する。
・この常識を支持する正当な証拠があるか確かめる。
必要があります。
悪いことをしても認めない自己正当化
もし、気に入らない相手がいてハラスメント行為を行ったとしても、これぐらいはハラスメントの範囲に入らないとか、分からないやつは多少きつく叱るのはしかたがないとか、自分の中で自己正当化が始まります。
誰しも自分を悪人とは思いたくありません。
善良で優秀な人間だと思いたいものです。
しかし、現実にはハラスメントで他人を攻撃しています。
自分が思っている自分と、現実の自分にギャップができます。
これを「認知的不協和」といいます。
ハラスメントをしている自分を認めたくないので、原因は被害者にあるように思いこみたくなるのです。
甘いレモンと酸っぱい葡萄理論
人は自分が選択したものをいいものと思いたくて、選択しなかった方は悪かったと思いたいものです。
実際にはやってみないと分からないのですが……
たとえば同じ飲食店でもコロナ禍であっても、廃業する店、営業を続ける店があります。廃業する店は、また盛り返すときがあっても、継続した店は新たな借金を返済しなければならないからと、継続する店を酸っぱい葡萄であると思います。
廃業した店の人は飲食店を続けたときほど稼げないとしても、安定している今の方がいいと「甘いレモン」だと信じたくなるものです。
公正世界説
人間勝手なもので、自分が理不尽な目にあったら原因は外部にあると思いますが、他人が何か不幸な目に遭った場合は、世の中で起こることは公正で、不幸の原因は本人にあると思ってしまいます。ということで、まわりの人が窮地に陥っても見て見ぬふりをする風潮ができていきます。
自分自身を陥れる自己ハンデキャッピングとは?
自分の実力が問われる試験やオーディションの直前にわざと、準備をせずに行ったり深酒をしたりする人もいます。
もし、ちゃんと準備しても合格しなければ、自分の真の価値がはっきりします。
自分の真の姿に向き合うのが恐くて、わざと失敗するような行動をとります。
アルコール依存症のような、自己破壊行動を起こすような人が陥る状態です。
わざわざ、自分自身で破滅するような状況に追いやるのです。
真に自分自身を冷静に観察するには
本来人間は、「人に認めてもらいたい」し、「自分は優秀な人間であると思いたい」心を持っています。
しかし、その気持ちが極端になってしまうと、現実離れした間違った目標を掲げてしまうことになり、不幸な結果になります。
そのためにも「こうなるべき」という「極端なべき思考」、どうせ自分はとなげやりになる「極端などうせ思考」に気をつけ、現実的な目標を掲げて、一段ずつクリアしていくことが大事です。
なかなか、自分自身を冷静に見るのは大変なようですね。