故ジャニー喜多川氏の性加害問題で揺れている大手芸能プロのジャニーズ事務所。気がつけばどのチャンネルに変えてもジャニーズかお笑いタレントしかテレビに出ていないという状態です。若い世代にとっては夢の製造工場的なジャニーズの裏側ではおぞましい犯罪が行われていて衝撃を受けている人も多いでしょう。
一方、50代後半以降、学業や仕事が精一杯でテレビを見る余裕がなかった人には、「ジャニーズ」っていつからこんなに巨大な権力を持つようになったの? とクビを傾げている人もいるかも知れません。
あんまりジャニーズに関心のない日本人から見たジャニーズ芸能史を振り返ってみましょう。

 

外から見たジャニーズ50年史

 

ジャニーズが盛り上がるのは1980年代たのきんからそれまでは一端落ちていた

 

ジャニー氏が事務所を立ち上げるのは1960年代ですが、その時代アイドルという存在は一過性のもので一流の芸能人とは一段下のような扱いでした。ピンクレディーやキャンディーズでも活動期間は3〜4年で解散するというのが決まりでした。つまり一段上の芸能人になるにはアイドルから脱皮するか、できなければ引退か忘れ去られるような形です。1970年代のジャニーズは郷ひろみさん一人が活躍していましたが、郷さんは他の事務所へ移籍。ジャニーズ事務所は一から人材育成することになります。そのときに合宿所へ集められた少年たちが80年代にたのきん、しぶがき、少年隊に成長します。

たのきんが人気になったのは79年の「3年B組金八先生」の生徒役からでした。ちなみに現在の事務所代表の藤島ジュリー景子氏も出演しています。その頃は完全に30人いる生徒役の中の数人に過ぎませんでしたが、回を追うごとに存在感を増していきました。

その後、桜中学が舞台の学園ドラマがシリーズ化されて、ジャニーズのタレントが毎回、大事な役を演じることになります。
それでも、俳優やタレントとして頭角を現すタイプの場合は、シブがき隊の本木雅弘氏のように事務所を離れる場合が多かったようです。光GENJIや男闘呼組のように一時は人気でも、その後は人気が下がって自然に解散、事務所移籍というパターンでした。

 

SMAPやTOKIOから全員バラ売りで全員活躍が始まった

 

テレビ全域でジャニーズタレントが出演するようになったのは、SMAPが第一線で活動するようになってからでした。光GENJIと同年代だったのに、なかなか人気の出なかったSMAPはバラエティ番組のその他大勢の立場からスタート。歌もバラエティもドラマも出演し、
時間差はありましたが、やがてメンバー全員が主演のポジションになります。そこから、TOKIOやV6など、メンバー全員がそれぞれの位置からテレビでの存在感を示すようになります。
と、同時期にたのきんからドラマとその主題歌で不動の人気だったトシちゃん田原俊彦氏が、極秘入籍し出産したことで事務所に造反し、20年近くテレビに出演できなくなりました。一方、たのきんの1人マッチ・近藤真彦氏はほぼ芸能活動をしなかったにも関わらず、ジャニー氏や姉のメリー氏が存命中の間はずっと事務所に残りました。

SMAPの世代よりさらに若いグループ嵐の櫻井翔がニュースゼロのキャスターに就任すると、それより上の世代も次々と報道系の番組にレギュラー出演するようになり、気がつけば全てのテレビ番組のジャンルに網羅的に出演するようになって、テレビとは切ってもきれない関係になっていきました。
その間60年、影で途切れることなく性加害を行っていたようです。夢を作るためにエンタメ業界にいたのか、それとも捕まることなく少年へ性加害を加えるためのシステムを作るためのカムフラージュだったのか。今では分かりようがありません。