臨床心理士の村中直人氏著「<叱る>依存がとまらない」を参考に、叱られ依存の弊害をお伝えする第2弾。
前回で、叱る側には強烈な快感が伴い、どんどんエスカレートしていくことが分かりました。一方、叱られる側にはなぜ叱られたのか意味が伝わっておらず、悪いことはあってもいいところはまるでない「叱り」。
どのように叱れば伝わるのか解説します。
叱られっぱなしの弊害
「叱り」は叱られた側には全く伝わらないことが分かりました。
さらに、あまりに叱られ続けると、思考が停止し、自分で考えられなくなるようです。
幼少期からサッカー教室では試合後は常に反省会、中学からの部活道でも罰のためのランニングや、プレーの最中に激しく怒鳴られていた20代の会社員は、そのせいか極度に叱られることが怖くなりました。
叱られるのを避けるために、自発的に考えることが必要な事柄を避けるようになったといいます。
そして、あまりにも指図通りに行動してきたため、いざ、自分一人になったときに、「本当に自分は何がしたいのか分からなくなった」といいます。
最近では「マルトリートメント」と呼ばれて、実際に暴力をふるわれたり、言葉で罵られるよりも、他人が被害を受けている場面にいる方が発達時期の脳に悪い影響を与えると言われています。
効果的な叱りの使い方
村中氏曰く、叱る人は叱った後の「後さばき」にしか注目していないといいます。
叱ったときには既に、とるべき行動を起こす時間は過ぎており、後でしかってもほとんど効果はありません。
指導者が注意すべきなのは重要な場面に対する「前さばき」つまり準備こそが大事で、終わった後の誉めたり、叱ったりする「後さばき」はさほど重要じゃないというんですね。
これからは叱るのを手放して、人に叱られないことを恐れて動かない防御モードではなく、失敗をおそれない冒険モードが推進できるような環境を作っていくことが大事になってきます。
そのためにはまず叱る自分を叱らないように、長い目でみていく必要があるでしょう。
今年度から小学校の全国柔道大会が廃止されました。
過度の勝利至上主義が発育途中の児童に悪影響を与えると判断されたからです。
これは日本のスポーツ界から見ても画期的な出来事でした。
甲子園や駅伝に代表されるように、日本には日本だけでしか尊重されない大会がありますが、それがパワハラを助長している気がするのですが……
長期的にシステムから変えていかないといけない問題ですね。